ヤマヴィカ巣箱日誌
2月16日〜2月28日に開催される、あがた森魚&山田勇男「鳥の巣箱ショウ」。展覧会までの制作日誌が、山田勇男さんより届いています。


2007年2月15日(木)
さいごの記述。夕べは深夜、否、人々は明け方というか。未完成、是完成か、否、矢張りそれだけのものでしかない。下手な言い訳。ビリケン出版の秦さんには、ずうっとひと月この拙文を綺麗に打ち直して載せてもらった。どうもありがとう。いやしかし、実はこれから2週間が「鳥の巣箱ショウ」ではあるのだが…。半世界。これらは巣箱であり、芸術ではない。人々がその穴をのぞいて観察したり、そのなかに幻想を飼育するのもいいだろう。私の役目は終わり。「苦しみは変らない。変るのは希望だけだ」ソニオ・ドーロ、黄金の夢を。

2007年2月14日(水)
……こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いてゐる次第ではありません。全くさびしくたまらず、美しいものがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から「あれはさうですね」といふふうなことを、ぽつんと云はれる位がまづのぞみといふところです。……30年位前、札幌の小さな看板屋に勤めていた。たったひとりの同僚の吉田道雄さんは、官製葉書に鉛筆書きで、この宮澤賢治の手紙の文面を抜き書きして送ってくれた。ずっといつまでも、それを机の前に画鋲で止めていた。仕上った巣箱を横にして、今ごろDMを書こうとしている。

2007年2月13日(火)
「芸術家のエレメントは感受性である」と、やはりタルホのいうことには、ったくさえてて何もいえない。ひたすらこうして、今まで、その、何をやっても駄作ばかりで、「私」にはもうあきらめきってるはずなのに、ゴーリキの『どん底』の、その女の台詞ではないが「灰色のアタシの人生だから、紅をさすのさ」と。なんと淋しい戯れ。目の前に、やや完成をみる13個の巣箱をながめながら、そんなことを思った。

2007年2月12日(月)
銀星と三日月が描かれている巣箱もいいなあ、って 明方、眠れず思い巡らしていたら、銀の色鉛筆を探して見知らぬ町をさまよっている夢をみた。昼下がりのカフェで、緑色のセーターを着た女のひとが「巣箱のなかに夢がみえたらいいわね」と微笑むと、ハッ!と目が覚めた。どちらが夢で、どちらが現実なのか、それとも夢のなかで夢をみていた訳か。

2007年2月11日(日)
夕べ、今回2月24日にミニライブをしてくださる歌謡デュオ「ペーソス」(http://www.skip.co.jp/pathos/index.html)の島本さんから電話があった。あがたさんもライブをしている「彦六」でのライブの帰りだという。近くの「タンブラン」にいるから、よかったらどうぞ、という話だった。色塗りを終えようとしているところだった。ニス塗りまでと思っていたけれど11時半くらいだし、少し顔を出した。「どう?進んでる」「中々うまく進まないす。ライブはどうだったの?」「盛り上がったよ。知らない人がほとんど…」とワインを注いでくれた。その店は国産のワインだけを扱ってて、その日彼が注文してたのは丹波ワインの「鳥居野」の赤だった。一羽の小鳥の絵が可愛いラベルだったので、空になったボトルを持ち帰った。いい夢がみたいと思った。

2007年2月10日(土)
何かあるより、何もない方がいいと思っている。だからこうして、ここにいるのかも知れない。今朝の夢。ヘンリック亭をたずねる。一度行ったひとなら、よくわかるのだが、雑然と、何と形容すれば良いのか、ちょっと失礼ないい方をすれば 散らかした子供部屋のように、なじみ易いが落ち着かない。ところが跡形もなく、何も無くなっている。しかし、よくみるとアレコレみえてくる。それは〈私〉のイメージのちからだ。かたちなきかたち。無いものがひとつふたつと現われてきた。寺山修司の資料と水のような日本酒だった。

2007年2月9日(金)
日々のなかで、ふと思いついたことや、何気に浮んだ思片、銭湯帰りの夜道の星2ツ3ツを数えたあとに、この日々のなかでどうありたいのか独り問答してみる。たとえば今なら、どんな巣箱にしたいのか、と。走り書きやメモのたぐい、稚拙な絵に、狂った寸法の図面を巡ってみる。今まで私は物事にどう向い合っていたのか、その自問自答の繰り返しが、思考の余白、澱、淀となってたぶん「私」の痕跡となるのだろうが、まァ、どうでもよい。----「私」はいない。妄想にすぎぬ、とは芝居の台詞也。

2007年2月8日(木)
巣箱……それは真昼のちいさな夜である。長い板を切り、3cmの丸穴を糸鋸(いとのこ)であけ、紙やすりをかけ、錐(きり)で穴をあけ、鉄鎚(かなづち)でナス釘を打ち、組み立てる。そしてのぞいてみた。な、なんと真暗闇だあ。そこは闇夜で何も見えてこない。色鮮やかなオブジェを、いろいろ入れてもどれも消えてしまう。〈ガラスのように幻影の夜を散らばっていくぼく〉※のようだった。
※北園克衛

2007年2月7日(水)
深夜、久し振りにユーリ・クーパーの図録をひらいた。「HOMAGE TO THE BOX」1992年。吉井画廊でみてその印象を「美術の窓」に書いた。そのなかで、幼少の頃の思い出をひとつ例にした。家の裏に松林があって、独り、いくつもの陽だまりのなかのひとつに座り、あまりにも優しい光に包まれ、あまりにも静かな時間を過ごしたことを。松の枯葉が巣箱のなかの巣草のように、ふんわりと、それでいて乾いた針葉の匂いが、とても懐かしさを感じさせたことを。

2007年2月6日(火)
16-6=10。あと10日で初日ということになるのかァーッ!? 開いたままのコーネルの本が机の上にある。巣箱、巣箱、巣箱。何を見ても、何をしていても頭の隅にある。こうして「私」のなかに、ヤマヴィカ巣箱があって、玉子の殻の内側に生まれつつある息づかいがあるような、妄想に浸っている。

2007年2月5日(月)
夕べは晩ごはんのあと、深夜までこの狭い部屋のなか、手足と木片が乱闘の如く、もつれあう。遅い起床となる。細かな作業となると、もうどうでもいい。木くずや紙やすりの粉が舞うなか、茶色のセーターや黒いズボンは真っ白け! だからといって、決していい作品が出来るわけではない。ここで深い溜息。背なかが丸い。

2007年2月4日(日)
節分も過ぎた。昨日は目当ての釘をやっと手に入れ、遠くの塗料の小売店まで足をのばしたがシャッターが下りていた。今日は風が冷たい、砂ぼこりの舞うなかで作業をし、木工パテ、しっくいの粉、塗料を買いに出掛けた。それにしても、わずか数ミリで枠木がうまく納まらなかったりと、そのわずかこそが、妙なリアリティを誇示するんだよなあーッ。

2007年2月3日(土)
『平太郎化物日記』の幕がひらくと、舞台の小さなスクリーンにうつる字幕に、フィルムの雨が降っている。やがて白いスクリーンにフィルムの傷の雨だけが流れていたかと思うと、その数本の傷が糸となって、数羽の鳥をスクリーンのなかに連れてきた。そして、あッという間に、スクリーンの外に飛んでいってしまった。しかし、どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことなんて出来やしない。捨てられた書物が、そう叫んだ気がした。

2007年2月2日(金)
郵便受けを開けると、色とりどりの五ツの翅が入っている。そんな夢をみた。夕べは1時間おきに目覚め、夜の空をみながら厠に立った。寝起きに、机の上にある中勘助の『沼のほとり』をひらく。彼の小説に、いくつも鳥の表現が出てくると思い、出しておいていた。

うつし世は うつつながらのうつつ責め 夢かうつつかやすきまもなし

という、大正十二年二月二十四日の句がある。 そうだなア、まさにこの心境だあッ。いつもでも迷ってるんだよね、きっと。「私」がある限り。中勘助の心から望む「私」が存在しなかったことには、到底辿り着くことなんて出来やしない。

2007年2月1日(木)
昨夕は釘を求めて3軒ほど彷徨ったけれど、気に入らず、あきらめて帰った。建材店の人が随分と親切に対応してくれたのだが、やっぱり駄目なのは駄目。少し思い巡らすことにした。さて、あがたさんはエルンストのコラージュが念頭にあり、私はコーネルの1950年代初めのボックス・アート「無題(鳩小屋:アメリカーナ)」をイメージにあるという話を交わしたのだけれど、お互いインスピレーションであり、その向う側をどうみているかが問題だ。今朝になって、キビタキやセグロヒタキのための巣箱をやめ、新たに2ツ作ることにする。組み立ての段階で何ともはや、そう思ったのだから仕方ない。ふたたび、のこぎりや糸のこを出して外へ。今日は風も冷たく、すっかり冷えきってしまった。

2007年1月31日(水)
ビリケンギャラリーから出来上ったDM届く。「具体的なことって、リアリティーあるなァーッ」って暢気なことを云ってる場合ではない。今日も朝から遊歩道の橋で作業。通りがかりの老人がお茶を差し入れてくれる。以前、メジロを十羽も飼っていた、という。鳴くのはオスで、メスは鳴かない、鳥はオスの方が美しい、とか、通りがかりの老夫婦と鳥談義となる。さて、これから組み立てにはいる。釘を買いに行こう。

2007年1月30日(火)
今日もよい天気なので、遊歩道の小さな橋の欄干に腰掛けて、紙やすりを一枚一枚の板にかけていく。好きですることだから、いい加減さが許されない。或る了解がないと、次へ進めない。夕方寒くなり日陰をのがれ、転々とする。いくら小春日和とはいえ、長時間の外での作業はつらいもの。部屋でストーブを背に、暖かいお茶をすすっていると、MORIOLoggiの倉科さんのtel。イベントのスケジュールを決める。あがたさんの巣箱も着々と進んでいるという。とても楽しみだあ。

2007年1月29日(月)
マグリットの絵に「アルンハイムの領土」(1962)というのがある。好きな絵のひとつだが、三日月、鷲のような山、その手前に鳥の巣、3ツの玉子が息づいている。札幌、宮の森の林のなかで、小さな鳥の巣があって、あまりにも可愛いので持ち帰ったことがあった。安易な小手先ではなく、ほんもののちからはいつも魅力を放っている。

2007年1月28日(日)
今日も近くの遊歩道で、午前中から紙やすりをかけたり 直径3cmと2.8cmの丸い穴をあけたりしていた。昨日より寒い。85歳だという老人が声をかけてきた。「何だい?」「巣箱を…」「人の匂いのするところへは寄ってこないよ」「そうですか」「随分と丁寧だな」「いやあ、私が鳥だったらと思うと…」「あにいはアホだなあ」「そうですね」「そうだよ。皆が金もうけやってるときに、鳥の巣箱作りとはなあ」と赤ら顔で、元気そうな笑顔がいいなあ、と思った。ほんとうに、ひたすら阿呆かも知れないと、帰っていく老人の後姿をみながら感慨にふけった。

2007年1月27日(土)
ゆっくり寝たせいか、少し調子がいい。風もなく良い天気なので、近くの遊歩道で、日に当りながら昼前から作業をしていると、小学生だという兄弟が「何を作っているの?」と聞く。「鳥の巣箱だよ」というと、兄の方が「冬にかけるんだよね」「よく知ってるね」と答えたらすぐに弟が「お兄ちゃんは何でも知ってるんだよ、博学っていわれてるんだ」という。仲良しなんだ、いいなあと思った。

2007年1月26日(金)
案の定、木枯らし吹く冬の空の下のなかで、わずか2日間だったが運のツキ、風邪をいただいてしまった。今朝の目覚めた時に、あーッ、駄目!動く気になれない。何もする気が起こらず、すぐあきらめることにした。夕べ、ずっと眠れず思い出していた。ルシール・アザリロヴィックの『エコール』という映画。初日に観る。そんな物語がうっすら見えるような巣箱もあっていいのかも知れない。

2007年1月25日(木)
夕べの久々の、懐かしいひととの一献が遅い起床となった。冬の澄んだ日射しがまぶしい。そのひとのつくりかけだという童話を思い出していたとき〈夢の胞子〉という言葉が浮んだ。人や風は、いく粒かの胞子や種子を運んでくる。黙っていても育つこともあれば、途中で枯れることもある。それでも、と思うときがあった。私が18歳のとき「もしも世界の終りが明日だとしても、僕は林檎の種子を蒔くだろう」というゲオルゲのアフォリズムを布鞄に書いて通学していた、恥ずかしい思い出も浮んでしまった。

2007年1月24日(水)
池波正太郎の鬼平好きの友人が「男は夢を追い続け、女はその瞬間を生きているんだ」との、あの吉右衛門調?を真似ていったあと「結局、男ってのはしがらみとかバランスとか あたりの状況など どこまで普遍的な判断が出来るかまでもがいている。まァ、それを云い草として夢と結びつけてるに過ぎないんだよ」と言う。イメージとしての巣箱と実用的巣箱、「普遍的なリアリティ」というのは確かさというのか、矢張り説得力がある。私は、いい加減な私の、もっとも都合良いニーチェばりに「私の原始性を主張」するしかないと、今、思っている。

2007年1月23日(火)
もしも私が玉子になって鳥の巣箱で生まれるとしたら、どんな場所で目を開け、どんな世界をはじめに見るのだろう? そんな空想をしていたら眠れなくなってしまう。寸法割りをしていたら、どうしてももう一枚15cm×367cmの平板が欲しく、歩いて30分、かついで30分、陽射しの中、歩いた。そうかあッ、私は〈独り〉という鳥だったのかも知れない。

2007年1月22日(月)
夕べ、深夜明け方近くまで、ずうーッと机の前で作業してたのか、頭痛がひどく眠れなかった。あまりにもひどいので薬を飲んでうとうとしていた。薬のせいか起きても何となくふらふらフーテンだァ。近くの材木屋に行くと廃業してて、交番で聞き遠くまで巣箱の平板を買いに行く。4m近くあるのをかつぎながら歩いて帰る。さて、あったかい銭湯に駆けて行こう。

2007年1月21日(日)
今朝の夢のなかで、巣箱のなかに入れる鳥のブリキオモチャを、どこか見知らぬ、日本ではない、南の国の露店商のなかに探している私がいた。1974年くらい、東京渋谷の町はずれに文化屋雑貨店があって、原色鮮やかなオブジェがところ狭しとあったことを、目覚めたとき思い出した。

1月20日(土)
鳩時計の箱って巣箱のイメージなのかな。いちど、ずっと犬の目をみていたことがある。何を思っているのかな、何を見ているのかな、ずっとずっとみつめあっている。冬の枯枝をみつめてみる。何であんなにエロティックに枝が形づくられるのだろう。その下にまるで子供の工作のような巣箱がひとつ。中をのぞいてみたくなるが、高さがあって無理だ。薄暗い闇の中で、小さな玉子が棲んでいるのだう。何を……。

2007年1月19日(金)
昔、何かの雑誌で、中村宏の絵で、一両の電車か汽車の中で、数えきれない犬だったか狼だったかが飛び交うのがあって、凄いイメージだなァと感心したことがあった。エルンストのコラージュで外灯のまわりに無数の蛾が集まっているのもいいと思った。御舟の絵に闇夜に乱舞する蛾のがあったナ。黒木和雄の『とべない沈黙』の一匹の蝶、三岸好太郎の標本から飛ぶ一匹の蛾の絵も良かった。さて、私は10個の鳥の巣箱をどんなイメージにひろげることが出来るのだろう。自身の不安が、他者のちからを浮かばせる。

2007年1月18日(木)
あれはいつだったか。札幌にいたころ大場良子さんのモノクロームの自家現像写真展で、森の中の一本の木の上に、巣箱がひとつ。その木の下に開かれた蝙蝠傘があるのを求めた。僕のフェイヴァリットのひとつだ。ふと懐かしく思い出した。

2007年1月17日(水)
昨夜机の上に開いたままのジョゼフ・コーネルの本があり、起きがけ蒲団の上でパラパラめくっていく。〈鳥小屋〉シリーズというボックスアートが26点もあるのだが、その他にコラージュ作品にも随分と鳥が出てくる。それらがイメージの翅となって頬のあたりでささやいてくれたらなあ。

2007年1月16日(火)
近くの梅が丘図書館へ行き、巣箱研究の一日。その夜、昔のカメラの暗箱が浮かぶ。巣箱も暗箱も生まれつつある世界の丸いのぞき穴がある。そして秘かで静かで「夜のようなこころ」がある。

2007年1月15日(月)
ビリケンギャラリーから、あがた森魚さんとの二人展の話をいただいてからおよそひと月半が経過。あとひと月もするとあがたさんと私それぞれ巣箱を10個ずつ並べることになると思うと、わくわくするやら不安もいっぱいでドキドキする。